・・・わたしについて・・・【電磁波過敏症の恩恵】からのつづきです
以前、お客さんへのチャネリングで「飲み残しのあるワイングラス」の映像が見えたことがあります。
飲み干すか、こぼすか、どちらにしても一度空にするようにとのメッセージ。そして、丁寧に扱う必要がある器であるという・・・今思うと、これって「私の器?」という解釈もできますね。
人へのメッセージ映像なのですが、後からふとしたときに「あぁ、あれって私のことかぁ。私にも使える情報だったのかぁ」と、気づくことが多々あります。
幸いなことに、医者から診断が下ったということで、親含め、身近な人には理解しやすいように説明することは出来ました。
困ったのは、外出したときですね。見かけが健常に見えるので、妊婦の初期ように社会的弱者だと気づいてもらえない、というところでしょうか。
電車で立っていると、頭のすぐ上に大きな蛍光灯がくることになるわけです。症状がきついときには、どうしても距離をとりたいところですが、
残念ながら子連れでもない限り、私の歳で席を譲ってもらうのは、難しかったかな。そんな訳で、「どこが自分にとって安全か」ということを、いつも考えていました。
電車に乗るときは、モーターを積んだ車両は避けたり、ビル内に入るときには、天井までの距離があるかどうか、座るときの場所の近くにスピーカーがないか、壁の向こうが電圧室など設備室でないか・・・
自分で自分を守る必要がどうしてもありました。できるだけ、この空間で快適に過ごせるよう、自分を置く場所に常に気を配っていたように思います。
外からでは分からない人それぞれの体質というものがあります。そして、こういうことは今の私の(体の状態)では無理だけど、これを除いたら私にも十分できる、ということもあります。
自分が安心していられる空間が確保できれば、健常者となんら変わりなくできることもあるんですね。
ですから、どんな人でもいえることですが「できること・できないこと」を必要ある人に伝えることが出来たら、もっと多くの人が社会の中で生きやすくなるなぁと、後からですけどね、気づいたりしました。
わたしにとって「電磁波過敏症」になった恩恵は、ほんとうに大きかったです。
この状況をくぐり抜けて得た「気づき」は、今でもピンチになった時や、「げっ!最悪~」という状況に陥ったときなど、多いに役立っています。
例えば、
・どんなに気持ち悪くなっても「死なない」
・今は 最悪に見えていても、それは「吉」
・ハンディーだと思う体質も「個性的な能力」
当時かかっていた、北里研究所病院の先生から処方されたことも、実はこの体質のケアにとどまらず、それからのわたしの人生の様々な場面で使われるアドバイスになりました。
その処方は大きく3つ。
①これ以上カップに入れない:その症状を引き起こした原因となるものから、距離を置く。
(例えば、テレビからは最低2m以上離れてみる。寝室など長くいる場所の環境を整える。下の階の天井についている蛍光灯の上で寝ていないかなど、「電磁波測定器」で徹底的に家中をチェック!)
②カップの中を空にする:体の中にたまっている物を出す。汗をかいて下さい。適度な運動推奨。
③ビタミンCを摂取:サプリでもなんでもいいから、通常の3倍ぐらい意識してとったほうがイイと言われました(理由は忘れちゃったけど・・・)
要は、体質改善してくださいとのこと。
ここでの学びのポイントは・・・!
出てしまったつらい症状を止めるには、その場から逃げることもありなんだぁということ。それまでの私は、愚かな勇者のごとく立ち向かうばっかで、引くことをしませんでしたから(笑)
そして、溜まってしまったものはしょうがないのだから、流せばイイということ。流し方はなんでもOK。
先生は運動、サウナを推奨していましたが、汗だけでなく、涙でも、尿でも何でもいいんだと思います。要は、体の中の水分を入れ替えることが必要だったのだと思います。(水に毒素は溶け出しやすいですからね、水はエネルギーの媒体)
そんな訳で、これをきっかけにヨガや散歩、温泉などに足をつっこんでいくことになるのですが、今から思うと私の場合、最高のデトックスは子どもを産む事だったのではと、思っています。
産むにいたるまで、実はいろんな葛藤・ドラマもあるのですが、結果、汗も、血液も、胎盤も、おっぱいも大放出し、めでたく体質改善!となりました。(娘が私の恩人ですわ)
そして、今、付け加えるとすれば「感情」や「声」など、溜め込んでしまったものはなんでも出してあげるのも有りかと思います。
この体質になってわたしが一番悲しいと思ったことは「もう、社会には出られないかもしれない」というものでした。
電車にも乗れない、携帯も持てない、PCにも近づけないこんな体じゃ、もう働けない。
大学4年間、バイト三昧、
社会人7年間、金融機関で営業一筋
結婚して2年間、契約や派遣で・・・この体にストップ打たれるまで絶えず動いていた人生でした。
もう、あの場には戻れない。もう、社会で自分を働かせることはできないんだ・・・
体に対する信頼も、何かの役に立っているという自信もこなごな、絶望感いっぱいの時期も、確かにあったかなと思います。
実際、目に見えない敵からこそこそと身を隠す忍者のように、文明社会からは切り離された隠遁者のように、暮らしていた私でしたが、
あるとき、癒しを求めて通っていた家の近くの日本庭園で、いつものように空を見上げていると・・・
「それって・・・・目に見えないものを感じる能力があるってこと?だとすれば、すごいことじゃないかなぁ。その力がいったい何の役に立つのか、今の私には、まったく分からないけれど・・・」
と、いう想いが降ってきたのを今でも覚えています。
そして、ハンディーだと思っていた体質が、個性的な能力だと見えてきたときから、色々なことが好転していったように思うんです。
あれから20年・・・
まさか、あの何の役に立つか分からないものが、人も自分も楽しめる今の活動に繋がっていくなんて・・・
そして何より、この「弱点」とも思えた体質こそが、ずっと私が愛してやまない「人の社会」に私を繋いでくれた「かけがえのないもの」であったということに、驚きを隠せません。
電車に乗り、飛行機に乗り、全国の会場に体を運び、ご縁ある方と直に向き合うことができる・・・かつての私には想像もつかないことでした。
それだけで、ただただ、ありがたい・・・・もう、今の自分が嬉しくてならないのです。
今後、自分のできる範囲で、自分を働かせて(機能させて)あげたい・・・まだ見ぬご縁ある方々の中へ 自分を置いていってあげたいなぁと、感じています。
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