今回の預言の冒頭・・・今夏からはじめた”新しい職場”でのことを言われているのは明らかでした。
新人なのだから失敗して当たり前、だから・・・「わたしが謝ることで丸く収まるのであれば」という気持ちでこの3か月やって来たこともあり・・・そのことをそのまま言い当てられ、あまりに図星で笑ってしまいましたよね。
そして、その矢面に立つ役目を担ってきたわたしを、「ちゃんと見ていましたよ」とあたたかい眼差しを向けていてくれたことにも胸がじんわり熱くなりました。
ヒューマンデザインでいう、6番の人生を思い出します。
プロファイルに6番を持っている人は、人生が3段階に分かれ、生まれてから30歳までの第一段階では「失敗の人生を生きる」と言われているのですが・・・
「人生には、プロセスというか過程にはいろんなものがあるのです」と預言でもいわれているように、まさにこの3か月、わたしはその最初のプロセスを生きたのだなぁと、振り返ることができています。
他のラインの人には耐えられないこと、そして、経験する必要もないことだけど、6番を無意識下に持つわたしにとっては、これがわたしの人生。この「失敗の人生」も含めてまるごと、わたしの愛しい人生なのです。
だからこそ、「この過程」をも含めて満足感を感じることができるのでしょう。誰にも評価してもらえないし、分かってもらえないけれど、大きな自分だけは「よく頑張ったね。自分の役目を果たしたね」って、理解してくれていることに触れることができました。
これはわたしの考えではありますが・・・
預言とは「大きな自分」(無意識の自分)からのメッセージなのだと、わたしは思っています。
なかなか無意識の自分と繋がる場所って少ないですからね、わたしは3か月に一度ここにきては、空の上から自分がどのように観えるのか、大きな自分からどのように思われているのか、自分が今どこにいるのかを確かめに来ているんじゃないかなって思っています♪
それでは、今回の預言全文を公開しましょう~♪
今、岐路に立っている方や、ヒューマンデザインでいうところの6番を持っている方には、妙に響くメッセージかもしれません(笑)ご興味ある方は、ぜひ、お楽しみください✨
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ヒューマンデザイン6番の人生を思い出させる、預言全文。
主が言われます、我が愛する娘よ、わたしはあなたを愛していると主が言われます。いつも一生懸命、自分がどうしたいかということよりも、周りにいる人たちに心を配って、必要を与えたいと力になりたいと、自分を守るのではなくて、少し矢面じゃないですけど、損な役回りにあなたが置かれたとしても、そのことで引っ込んでしまうのではなく、一歩一歩たくましく歩いてきた自分らしくやってきたことを喜んでいると主が言われます。
非難されることももちろんあります。あなたがもし、完璧でも非難する人は非難するし、あなたがもちろん完璧ではないから、突けば何か言われることもあるでしょう。でもとにかく、悩めばもう病気になることもできる。でもその何か人の言葉とか、人の判断、診断、採点というんですかね、人の言う評価というものを基準にして失望してはいけないと主が言われます。ただ、あなたをわたしが喜んでいるということを信じるべきですと主は言われます。
そして人生には、プロセスというか過程にはいろんなものがあるのですと主が言われます。それを全部あなたの人生の喜びというか満足というのかな、いろいろ頑張ってよかった、失敗も恥も嬉しくはないけれど、でも、よく頑張って、それでわたしこれでこの人生でよかったと、その喜びをあなたに与えたいと主が言われます。
人は失敗を嫌い、何か完璧であることを望むので、それを見たくないかもしれない。でもわたしは、ある部分だけを評価してある部分を評価しないではなく、すべてのものを含めて喜び、あなたの価値を認めていると主が言われます。
ですから、今までのっていうとちょっと漠然としてますけど、何かプレッシャーのある変な基準というか、そういったものをあなたから取り去って、あなたが安心していられるように。いろんな人のことから学んだこと、親から学んだことや友達や、いろんな本で学んだこともあるでしょう。でもそういった、自分に知識というか蓄えた!と思うものが実にあなたを拘束する、窮屈にしているならば、それらのものは命を・・寿命が縮むという意味ではないんですけど・・なんかこう、生きた心地がしないというの?命を縮める、縮こまらせる、そんなものになるでしょう。だからのびのびと、何も知らない子どものような自由さと、「この人なんか将来のことぜんぜんしっかり心配してないねぇ」って言われる人は、嘲られたり責められたりするのですけど、でもむしろそのようであるべきですと主が言われます。
用意周到、すべてのことができる、そういった人になるためにあなたが窮屈になるならば、それは何か本末転倒というか、何か間違ったこと。だから今、知識とか何か枠を捨てて安心していいのです。それにお金をかけたり時間をかけたりすることも、もちろん一時の気休めにはなります。しかし何も残らない。何か逆に失っていくならば、それは大きな損失となると主が言われます。今、わたしはあなたがのびのびといることができるように新しい心、それをあなたに注いでいますと主が言われます。
(2022年11月8日、3分41秒、預言カフェ高田馬場にて)
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