
みんながペアワークしている間に
ひとり台所でスープを温めたり
お芋を切ったり・・・
手を動かしているときに
隣の部屋から楽しそうな声が漏れ聞こえてくる
あぁ、この感覚・・・
ずっと昔・・・思い返せば
最初のお茶会からそうだったのだけど・・・
自分が話題の中にいる時よりも
みんなが楽しそうに笑っていたり
食べてたりする光景を
ちょっと離れたところから眺めているのが
いちばん心地いい自分がいたんです。きっと、
これが裏の6番のあり方なんだとおもいます
あぁ、これがやりたかったんだなぁって
そして、これからもこれをやっていけば
裏の6番のしあわせなんだろうなぁと
感じました。
5番のあり方(=おかあさん役)で場を開いたら
もっと手取り足取り関わろうとしたでしょう
安心して遊べる畳やお庭を用意して
そこに放牧するのが・・・いかにも ”6番らしい”
そんな6番:おばあちゃんのわたしが溢れ出る
やわらかなお茶会が
18日の「実験会」では広がっていたんです

一方、
16日の「新春お茶会」でのわたしは
きっと表の4番が全開だったんじゃないかなって
思うんです
たかこさんのご感想の中でも
「のりこさんが弾むように楽しんでいた」って
描写されてましたけど・・・笑
きっと、ホスト役も忘れて
あくまでメンバーの一員として
先頭を切ってはしゃいでいたのだと思います
(だからあんなに楽しかったんじゃないかなぁ)
テーブルを4人で囲めたのも
良かったんだなぁ
(人数って、やっぱりあるんですね)
ほぼ全員が「はじめまして」同士だったのも
みんな同じ目線で向き合える状況を
促したのかも・・・
(4番は、上下関係とかが出てくると機能しなくなりますから)
今思うと・・・
「新春会」で4番のわたしが
一個人として、
現実世界を遊びつくしたから
「実験会」では6番のわたしが
自然に現れたのかなぁとも思うのですよ
5番を脱ぎ捨て、4番の自分全開で行け!

「かつて、なにか自分がやりたいことも犠牲になってしまったり、やりたいこともあきらめなければならない時もあったでしょうが、そこにもちゃあんとわたしは喜びを返します」(11月の預言)
…と、前回行った「預言カフェ」で
言われたときにね
そうかなぁ・・?これまでじゅうぶん我がままに
やりたいことやってきたけどなぁって
ひっかかってたんです
でも、ふと、
このことかな?って
もしかして・・・4番のわたしって、
ほんとうはもっと、新しい出会いの中に
身を投じていきたかったのかな・・・って。
(じゅうぶんじゃなかったのかも・・・)
「犠牲になった」というと
ん?って感じだったんですけど
もっとやりたい!と思ってる
子ども心を
我慢させていたというか・・・
もっとわたしやれるのに!・・という
真っすぐな気持ちを
押さえつけていたというか・・・
言われてみれば
たしかに・・・
5番のあり方をやらざる負えない時期が
長かったかもしれないなぁ・・・と
思い当たったんです
(サターンリターンで 5/1、ウラナスオポジションでも 5/1で、ずっと5番を纏うトレーニングを積んできましたからね・・・って、いやいや!5番の中でも・・・3.5「犠牲にすること」を纏ってきたんじゃん!そりゃずっと「犠牲」になってたわ、わたし💦 それにしても言葉ってすごい。ゆかこさんのご感想の中でもありましたが、やっぱりなにかひっかかった言葉って、意味あるですねぇ)
でも、
キロンリターンで 4/6 に戻って、
本来の「4/6プロファイル」の自分を
もう一度振り返ったとき・・・
そういえば、最初の頃は
地方のイベントに出展したりして
はじめて会う人との出会いに
身を焦がしていたなぁ・・・って
あのときのわたしは、きっと
周りから見たら
キラキラ輝いて見えたんだろうなぁ・・・
きっとあの姿が
わたしの4番が本領発揮しているエネルギーで・・・
あああ~!
3.4「カリスマ」って、これかぁ!
(わたしって、ほんと愚か。やっと見てあげられたかも・・・。これまで、50.4「堕落」の自分しか注目していなくって、4番でも3.4「カリスマ」の自分は置き去りにされていた…!?)
人懐っこさ全開で
はじめての人とでもすぐ仲良くなれる4番
他のラインの人にとっては
「え、そこまでは無理!」と思うことでも
なんなくできてしまう4番としての役割を
もっともっと果たしていけ!と
いうことなのかもしれません

自分自身も仲間に入って思いっきり楽しみたい!
そして、
人の礎にもなりたい!
要は・・・
4/6プロファイルのわたしは
シンプルにこの組み合わせなんだと思うのです
どちらもわたしだから
どちらもすればいいんだろうなぁって
「おもてなしお茶会」ではじめての方と
思いっきり遊んで
そこでの「遊び」を気にいってくれた
気心知れた方々と「実験会」を開いて
人と人とを
まあるく繋いでいく・・・
この2種類のお茶会を開いていくだけで
この世界に貢献できるのだとしたら・・・
こんなにしあわせなことはありません
・
大河ドラマ「べらぼう」の3話で
「吉原に人を呼ぶための本」を作り上げたとき
蔦屋重三郎が吐いたセリフがあります
「なんかすっげぇ楽しかったなぁ・・・やることは山のようにあって、寝る間もねぇぐらいだったけど、大変なのに楽しいだけって・・・。こんな楽しいこと世の中に 俺の人生にあったんだって・・・なんかもう、夢の中にいるみたいだぁ」
あれは
単なるセリフ回しではなく・・・
走り切ったあとに
全身の毛穴から湯気のように立ちのぼった
カラダからの本音で
ほんとうに夢の中にいるみたいに
気持ちよさそうだった・・・
自分の役割に合ったことをやっていると
自分もめっちゃ楽しいし、
社会の役にも立っていく・・・
そして、自分の役割を果たしている時って
誰もがこういう感想が漏れるのだと思うのですよ
この2つの層だけやっていけばいい。次回は「ヒューマンデザインお茶会」やりたいな!

これまで長年纏ってきた5番を脱ぎ捨てて
人懐っこい4番のわたしに
新しい出会いをいっぱい体験させてあげたい!
おばあちゃんの6番のわたしに
子どもたち同士で遊ぶさまや笑い声を
いっぱい聞かせてあげたい !
だから、両方のわたしが喜ぶ
2種類のお茶会を開いていけばいいんだって
わかったら
ど~んと、なにか肝が据わったような
気持ちになりました。
そして、きっと
自分が「たのしい」と思うことと
人が「たのしい」と思うことは違っているから
人それぞれの 自分の「たのしい」を
追求していけばいいんだろうなぁって。
4番の喜び・たのしみ・しあわせ、と
5番の喜び・たのしみ・しあわせ、と
6番の喜び・たのしみ・しあわせ、は
み~んな違うから・・・
次回のお茶会では
この1番~6番まである「層」の違いについて
「ヒューマンデザインのプロファイル」の
お話をいっぱいしたいなって、思いました♪
明日から、久留米に行ってきます!
きっと、4番のわたし全開で
新しい出会いに身を焦がしてくるんだと思います❤
思いっきり、子どもの自分を喜ばしたら
きっと、6番のわたしが溢れ出てくるから・・・
帰ってきたら、
またお茶会の企画、たてましょうね♪
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